| (1084)隣人愛的関係の育成を!(津村先輩の言葉) | - 2010/07/29
- ここ数日の暑さに負け、寝転がって昔の資料を漁っていたら、姪浜校区自治連合会創立50周年記念の冊子と出会った。これは平成15年11月22日に発行されたもので、現・姪浜校区自治連合会の前身が昭和27年に「姪浜校区町世話人会」として発足して、この年で50年を迎えると記してある。
私も今、今津福祉村40年をまとめる作業に入っている。「まとめ」は記念誌やDVD、記念式典や講演会などの計画を多くの皆さんと一緒に生み出している。関係者は経験も知恵もくぐってきた生活も同じではないだけに、なかなか企画は全会一致では進んでいかない。それだけに苦悩も尽きないところですが、この小冊子に出会い、目の覚める思いがしました。と、言うのは姪浜の小冊子編集に携わられた人は、私がかねてから尊敬している元姪浜校区自治連合会長・元姪浜公民館長の津村正先輩です。先輩の日頃の言動と、記された言葉や資料を重ね併せ、大変勉強になった。姪浜の形成史がここでは述べられています。
五十年を記念して (前略) そもそも姪浜町は昔からの農漁村で江戸時代は唐津街道の宿場町として姪浜千軒といわれて繁栄していましたが、大正初期炭田の発見で炭鉱の町として大発展を遂げ世帯数も約四千戸人口も一万九千人となり生まれ変わりましたが太平洋戦争の戦後そして昭和26年の朝鮮動乱を頂点に重油によるエネルギー革命でその地位を追われ、やがて昭和37年12月に閉山、愛宕山北側と小戸の突端にボタ山を残し町内に30ヘクタールの陥没地をつくってヤマの灯は消え、その後ボタ山は削られて海を埋め昭和44年から800戸の豊浜団地が誕生。また小戸地区も公園、競技場、ヨットハーバー、団地も造成され様相を一変した。急激な宅地化で人口増加で昭和34年4月、内浜小学校開校、更に昭和54年4月愛宕小学校、昭和55年内浜中学校の開校、更に平成8年4月愛宕浜小学校と三小学校と一中学校に分離しました。昭和53年11月頃より姪浜駅南一帯の区画整理事業案が行政より提示され説明会が開始されたが賛否両論、なかなか事業案が纏まらなかった紆余曲折種々な問題を抱え平成元年十月から事業を開始され平成15年3月完成しまして現在世帯数も約六千四百戸、人口も約一千四百人の大校区になり誰もが夢想だにしなかった大都市になりました。 (後略)
ある学校に行き、その校区の歴史を記述してある「年史」を読んでみて、校長先生と二人で改めて地域のことを学ぶことがどれほど重要か、と言う話になりました。姪浜の発展してきた歴史がよくわかり、これから先を津村正先輩は「地域社会の発展を願い隣人愛的関係の育成にお互いが心がけていく努力をしていきます」と、述べてあります。
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